東京地方裁判所 昭和31年(刑わ)2877号 判決 1958年2月11日
被告人 武田藤五郎
主文
被告人は無罪
理由
本件公訴事実は
被告人は昭和二十九年十月頃から昭和三十一年三月下旬頃まで物品一時預所を営んでいたものであるが昭和三十年十二月頃渡辺義博から綿シヤツ七枚、毛シヤツ十二枚(価格二万三千二百五十円相当)を預り閉店後も引続き業務上保管中昭和三十一年七月上旬頃より同年八月下旬までの間数回にわたつて東京都千代田区神田鍜冶町二丁目二番地質商石黒金太郎方等において同人等に擅に入質したものである
というのである。
審理の結果に徴するに、右公訴事実は品物の価格の点を除けば、一応これを認めることができる。しかし、証人渡辺義博及び被告人の公判廷における各供述によつても明らかな通り、被告人はその経営に係る物品一時預り所内に預かり条件として、二ヶ月以上預け品を引き取らないで、そのまま預け放しにして置くときは引取人がないものとみなして預かり主において勝手に処分する旨を預かり料金その他と共に掲示して預かり業をしていたものであり、一般の荷物一時預業者の場合においても長期間預け放しの物品については預かり業者において事故品として処分する旨の条項を掲示してその業を営んでいることは公知の事実であつて本件においてもこれと異なる解釈をなさなければならない合理的な理由は見出されないから渡辺義博が本件シヤツ等を被告人に預けるに当つては、これらの条件による一種の附合契約が成立したものと見るのが相当であり、少なくとも被告人の側においてはそのつもりであつたと認められる。従つて公訴事実も認めているように預かり期間が二ヶ月以上を経過した本件にあつては、被告人は本件預かり品を自由に処分する権利を取得したものと認めざるを得ない訳で、本件入質を以て不法処分と断ずるのは失当であり、又被告人においてその処分権を有するものと考えたのはむしろ当然というべきであつて、被告人に横領の犯意があるということはできない。勿論刑法第三十八条に所謂「罪ヲ犯ス意」とは横領罪については行為者がその占有に係る他人の物を処分する事実自体を認識するを以て足り、その処分の違法性を認識することは必要でないとされてはいるが、この場合の違法の認識とは刑罰法規違反の認識を意味し本件のような占有品を処分する権限の有無に関する民事法規は刑罰法規適用の前提事項たる事実の一部をなすものであるから、これについての認識の欠如は行為の内容たる事実についての認識がないことになり、犯意の成立を認めることができないのである。
或は預かり品処分についての前記合意は信義則上、被告人のためばかりでなく、預け主の利益のためにも存すると解すべきであるのに、本件処分は、権利行使に藉口して被告人の利益のためのみを図つてなされたものであるから、権利の濫用であり、正当な権利行使とは認められないから、矢張り不正処分であり横領罪を構成するとの考えもあり得るであろう。そして被告人が本件処分をしたのは少なくとも直接には、自己の生活費等を得る目的であつたことは被告人の供述調書中にも明らかに見得るところである。しかし元来、或る業者が一定の条件を定めて客との間に一種の附合契約を結ぶ場合には業者は、その条項に関する限り、自己に生ずることのあるべき不利益を可及的に避けようとする自己防衛の意図に出るのが普通であり、客はその条件を呑むことによつて契約を成立させるところに自己の利益を見出すものであると考えられ、本件の物品一時預についても、これと別異の解釈をなすべき根拠は少しも見られないのであるから、前記処分権に関する合意は、むしろ民法第二百九十五条の留置権に関し、競売法第三条の適用を特約を以て緩和し、被告人が適宜の方法を以て留置物を処分し得ることをも包含するものと解するのを妥当とし処分の動機を問うべきではない。従つて結局被告人は預かり後二ヶ月を経過した時において、本件物件について適宜の方法による処分権を得たものというべきであり、その権利行使自体は罪となるものではないといわなければならない。そして被告人が本件物件を質入したことはその時季が七、八月であつて、冬物売却の適期でなかつたことを思えば必ずしも不適当の処分方法であつたとはいえないであろう。又前記処分は前記のように直接的には専ら自己の利益のためであつたのであるから背信の感がない訳でもないが、この処分は預け主である渡辺義博も少なくとも未必的には予見し得たところであり而も事前にも事後にも処分もまた已むを得ないと考えていたことは証人渡辺義博の公判廷における供述によつて認められるのであるから、これが預け主の利益を無視した点において権利の濫用であるといい得るや否や仮りに権利の濫用であるとすれば、これに対し如何なる法律効果を附すべきやは、専ら民事法規の解釈適用に委されて然るべきであり被害者と目される渡辺の承諾又は許容を認め得る前記処分による利益の侵害は未だ刑罰を以て禁圧保護されなければならない程重大であるとは考えられない。
預かり品の自由処分に関する前記合意が物品処分の対価が保管料の額を超える場合に流質と同様被告人の利得とすることを包含するかどうかは問題であり、従つて又その超過額の処分は犯罪を構成するかどうかは別に考究されなければならない問題ではあるが、この点は現に訴因として追及されている訳ではないのであるから現段階においては討及すべき限りでない。
以上の次第であるから、本件は結局犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をする。
(裁判官 緑川享)